「旅人」と「住人」

「旅人」と「住人」
本日は移動日、ニューヨークのジャパンソサエティの楽屋に公演で使う着物を置いてきました。
Mishima’s Muse – Noh Theater
December 4-6, 2025
2日17:00ごろ羽田を出て飛行場を出たのが2日17:00ごろ。出た時間につく感じは面白いですね。
今日は日本時間の早朝、NYの夕方に日課の朝活、『吉田松陰全集』『史記』『聖書』
吉田松陰の遺稿も通読すると軍事関連の記述がかなり多い。一般書籍では哲学的、教訓的な名言が多い。
これは世阿弥に関する書籍も同様なので納得。
『超訳 世阿弥』も能楽の具体的な演技に関わる事はほぼカットされてます。
それと同様、吉田松陰の名言的な本に軍事に関する戦術論はほぼ記載がありません。
さまざまな人の名言も一般の人にも当てはまるような事が本になるので哲学的なことばかりになるます。
そう思った時に「旅人」と「住人」の違いが頭に浮かんできました。
「旅人」は元の居場所に帰る人、定住してない人も住人ではない。
一時的に立ち寄りよいところをみてまた次の場所にゆく。
住人は、税金を払ったり仕事をしたり旅人とは違う生活をしています。
100日チャレンジが本日94日め、あと6日で終了。
「夢」や「目標」もチラ見してくる旅人と住人では全く感覚が違う。
本を出版する体験をする旅人、ひとしきり盛り上がってまた自分の居場所にもどります。
出し続けている人は出版の世界の住人。旅人の感覚で接しても住人とはだいぶ切実さが違います。
「夢」や「目標」の住人として感覚を引っ越しさせてしまうのか。
よいところだけチラ見して元の感覚に戻ってくるのか。
感覚や基準を引っ越すと初めは強い違和感があります。なんかしっくりこない。
それでも引っ越しってそういうものだよなぁと思ったニューヨークの夕方です。
※画像はジャパンソサエティのエントランスです。
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