徳は人に影響されるのか
徳は人に影響されるのか
朝活は『ウダーナヴァルガ』はげみ、愛するもの、戒しめ、『日本書紀』安閑天皇!宣化天皇、欽明天皇と兄弟の践祚が続く。
『聖書』サムエル記、イスラエルの王サウルと王子ヨナタン、ダビデの人間模様が描かれる。
サウルは息子ヨナタンを愛しダビデに憎しみを持つ。王子ヨナタンはダビデを愛している。
映画『国宝』の人間模様も彷彿とさせる場面です。3人以上の人が集まるとそれぞれの愛憎の不一致からさまざまな人間模様が現れてきます。
『ウダーナヴァルガ』の一説
「愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。愛するものは変滅してしまうから、ついには狂乱に帰す。」の具体例のような『聖書』の記述です。
そんな朝活で同じような人が集まるという話題になりました。
なんかずるい事を考える人は同じ価値観の人と仲良くなり、清く生きようと思う人も同じ価値観の人と仲良くなりそうに思えます。
必ずそうかというと、
講演会やセミナーなどで向学心や徳が高い同じ仲間が集まるという話が出ます。
朝活で言えば「同じ時間に起きてる」仲間と出会える以上、過度な期待しない方がいいのかなと思ってます。
ピアノの名手がメンバーにいて毎日いっしょにいてもピアノが弾けるようにはなりません。
私も小鼓をしていますが、何年朝活をいっしょにしていても小鼓が打てるようにはならないでしょう。
古典文学などでは「〇〇の友」という表現が出てきます。
「琴詩酒の友」なら音楽や詩を話題に酒を飲む仲間
「月の友」は月見に集まった人々
「法の友」なら同じ仏教で救われる仲間
「友」は目的があり、同じ目的に集まる人を「友」と言います。
ナポレオン•ヒルのマスターマインドに近いですね。古典に出てくる「友」とは「状態」だからです。
「積善の余慶」という言葉も古く善行を積んだ家の子孫にも影響することが昔から言われています。
徳はどうでしょう
『易経』ではその時々に徳の高い判断ができることが有徳の大人として語られています。
積み重ねるというより、その時々の判断で徳は変わると思っていた方がよさそうです。
一緒にいる人に影響されたり、徳が溜まるという発想が流行ったのは明治時代です。
道徳を物理学に置き換えた「理学宗」を政治家 杉浦重剛が提唱しました。
電気が電池に貯まるように徳は溜まっているという説です。現代の引き寄せの法則に近い内容です。これは当時、かなり影響力があったようですが今は検索しても情報は少なめです。
善行は「行い」ですから寄付額のように累計できます。
徳はその時々にどんな判断ができるか。それなので過去の実績で徳があるかどうかは判断できません。
誰にとって徳のある判断をしているのかはひとつの目安になります。
「〇〇さんにとって徳のある(有益な)判断」
「〇〇会にとって徳のある判断」
「地域にとって徳のある判断」
「国家にとって徳のある判断」
小さい範囲で徳のある判断が全体から評価されない事は多く。広い範囲に徳のある判断をすると細かいクレームも多くなる。目先の徳で判断しないようにしたいものです。
※画像はAIで生成しました。
最新記事 by 森澤勇司 (全て見る)
- 石を焼いた器 - 2025年8月13日
- 徳は人に影響されるのか - 2025年8月12日
- いろんなシンクロ - 2025年8月11日
- 真実とは何か - 2025年8月10日