箕子とダビデの処世術
朝活は『ウダーナヴァルガ』読了、明日からは『バガヴァッド•ギーター』が始まります。『日本書紀』は欽明天皇 佐渡の話、『聖書』サムエル記、ダビデの逃亡が描かれる。
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十二月に、越国言さく、「佐渡嶋の北の御名部の碕岸に、粛慎(みしはせ)人有りて一船舶に乗りてとどまる。春、夏、捕魚して食にあつ。
その嶋の人、人に非ずと言す。また鬼魅(おに)なりと言して、敢て近つかず。
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見かけがヤマトの人とはだいぶ違う人が住んでいたようです。
日本書紀の記述を読んでいると日本国内も少数民族の集まる多民族だった事がわかります。そんな先住民を制圧してヤマト一色にしてしまった。民族浄化により単一民族と思うまでにした政策はすごいものです。
日本は「平和し」「祓」という粛清を描きます。『聖書』も同様な記述は多いですね。日本よりは少し優しめに感じます。
その中でイスラエルの初代王サウルがダビデと敵対している時のこと
ダビデを匿った85人を処刑してしまう場面があります。
逃亡するダビデがガドの王アキシュを頼っていく場面、命の危険を避けるため気が狂ったふりをするところがあります。
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「ダビデはこの言葉が心にかかり、ガトの王アキシュを大変恐れた。 そこで彼は、人々の前で変わったふるまいをした。彼らに捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした。 アキシュは家臣に言った。「見てみろ、この男は気が狂っている。なぜ連れて来たのだ。 わたしのもとに気の狂った者が不足しているとでもいうのか。わたしの前で狂態を見せようとして連れて来たのか。この男をわたしの家に入れようというのか。」」サムエル記上 21:13-16 新共同訳
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中国古事にも似た話があります。
殷王朝、紀元前1600年頃から紀元前1046年頃?
紂王(ちゅうおう)には箕子(きし)という叔父がいました。紂王の横暴をなんとかしたいと思っていました。
ある時、この横暴をたしなめようと進言した臣下は処刑されてしまいます。
身の危険を感じた箕子は気が狂ったふりをして紂王に使えることもなく命も守った人として賢人と言われました。
ダビデの在位は紀元前1000年から紀元前961年?
地域は離れていても暴君と気が狂ったふりをする人の逸話が残っているのは興味深いことです。
危なくなったら理論武装するより気が狂ったふりをしてしまうのがいいかな、、
「あの人頭おかしいからまともに話しても通じないよ」とか
「あの人、何にも考えてないよ」
と言われるくらいの人が1番賢く立ち回っているかもしれないですね!
画像はAIで生成しました。
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