「執われ」と「集中」の違い
「執われ」と「集中」の違い
昨日は舞台が終わってホテルの引き出しに入っている『和英対照仏教聖典』をパッと開いてみました。
そこに記載してあったのは、、
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仏の教えは、相反する二つを離れて、それらが別のものではないという真理を悟るのである。もしも、相反する二つの中の一つを取って執着すれば、たとえ、それが、善であっても、正であっても、誤ったものになる。
もしも、人がすべてのものはうつり変わるという考えにとらわれるならば、これも間違った考えにおちいるものであり、、、
『和英対照仏教聖典』
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その後にまだ執われについて書かれていました。
舞台では
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それ
仏法あれば世法あり
煩悩あれば菩提あり
仏あれば衆生もあり
善悪また不ニなるべし
能「舎利」より
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とらわれない、という言葉は実は否定系で執われを産む。
これもまた逆説で面白い翻訳です。
執われは「目的」と「手段」の目的に固執してしまう事でも在ります。
一度、方向を決めたら「今」やる事に集中する事で「目的」への執われはなくなります。
目的なく「手段」にこだわる執われは迷いに入っていきます。
具体例は、、と思ったら空港に向かうバスが来たのでまたいずれ。
ブログの完成に執われていたら乗り遅れてしまいますね😃
そう思ったら「執われ」と「集中」は同じように思えました。
次にパッといければ「集中」
ズルズルしていれば「執われ」です。
※画像はとかち帯広薪能です。
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森澤勇司(もりさわゆうじ)
能楽師小鼓方
1967年東京都生まれ。
テンプル大学在学中に見たこともない能楽界に入門し32歳で独立。
2000番以上の舞台に出演している。
43歳で脳梗塞で入院、
退院後、うつ状態克服のため心理学、脳科学を学ぶ。
復帰後は古典的な能楽公演を中心に活動している。
著書『ビジネス番「風姿花伝」の教え』
明治天皇生誕150年奉納能、
映画「失楽園」、大河ドラマ「秀吉」に
能楽師として出演。
2014年 重要無形文化財能楽保持者に選出される
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