明治には無い!415年の氏姓確認
明治には無い!415年の氏姓確認
允恭天皇四年(415)
国内は家系詐称が蔓延してました。百済、新羅から来た人も国内の人も天照大神の子孫だなんだと由緒ある名前を勝手になのり家系も出鱈目。
允恭天皇はこれを正す詔を出します。
二つの方法で嘘を見分ける事になります。
盟神探湯(くかたち)
お湯か泥を煮立たせてその中に手を入れ中に入った石を探す。
焼けた斧を手のひらに乗せて火傷しなければホント。火傷したら嘘。
偽りの氏姓を名乗っていた人は恐れて自ら名前を変えた。
「あっなんか勘違いしてみたいです、、」
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允恭天皇四年の秋九月の辛巳の朔、
故、諸の氏姓の人等、沐浴斉戒しておのおの盟神探湯せよ。すなはち味橿丘の辞禍戸岬に探湯瓮をすえて諸人を引きて赴かしめて曰く
「実を得むものは全からむ。偽わらば必ず害れなむ」とのたまふ。盟神探湯、これをば区訶陀智といふ。或いは泥を釜にいれて煮沸かして手をかきはつりて湯の泥を探る。
或いは斧を火の色に焼きて掌に置く。ここに諸人、おのおの木綿手繦をして釜に赴きて探湯す。
すなわち実を得る者は自からに全く、実を得ざる者は皆傷れぬ。
これを以て故に詐る者はおじて予め退きて進むこと無し。これより後、氏姓、自づから定まりて更に詐る人なし。
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明治に入ってからは
1. 平民苗字許可令(明治3年 太政官布告第608号)
• 1870年(明治3年)に公布されました。
• これにより、平民(武士以外の国民)に苗字を名乗ることが許可されました。しかし、この時点では義務ではなかったため、苗字を名乗る人はあまり増えませんでした。
2. 平民苗字必称義務令(明治8年 太政官布告第22号)
• 1875年(明治8年)に公布されました。
• この法令によって、すべての国民(平民)が苗字を名乗ることが義務化されました。これにより、国民全員が氏を持つことになりました。
允恭天皇の御代より1460年たって氏、苗字をつけなさいとなりなかった名前が大量に登場しました。
氏姓には色々な考えがあります。
由緒正しいと思っていても意外に明治からというものは多いです。
※画像はAIで生成しました。
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