知日派と自己矛盾

知日派と自己矛盾
朝活は『続日本紀』桓武天皇、『日本書紀』応神天皇、『聖書』2周目は英語でGenesis、日曜日7:00からはclubhouseで『日本書紀』垂仁天皇、その後は小鼓の稽古。今日は調整を頼まれた道具の納品でした。
昨日の終戦80年勉強会で「知日派」という言葉を初めて聞きました。
GHQの中にも日本の文化に詳しい人は何人かいました。歌舞伎もこうした人がいなかったら9割は上演禁止になる予定でした。能にも影響はありました。
「親日派」と「知日派」はこれまた微妙に違います。
「親日派」は日本大好き
詳しく知らなくてもなんか好きという人も含まれます。
「知日派」は親日派より日本のことを深く知っています。だからと言って大好きかどうかは別。興味があるから好きになる人もいれば知っているから大嫌いな人もいる。
私の場合はなんで知りたいかと言えば自分の言っていることとやっている事が矛盾がないようにしていきたい動機が大きいです。
「和をもって、、」と言っているのに『日本書紀』の該当箇所を知らないとか
「目から鱗、、」と言っているのに『聖書』読んでないとか
お経の引用された能をしているのに経典を全くみた事がないとか
「急がば回れ」と言ってるのに瀬田の唐橋知らないとか、、
ちょっと前に「我々が聖書を読んで、、、」と言ってるのに『聖書』を読んだ事がないのも自分的にはかなりストレスでした。
自己矛盾はたくさんあるでしょうか認識してしまうと苦痛になってきます。
頭に「知ったかぶりして気持ちいい??」という声が聞こえてきます。
これが半分、あとの半分は「長く続いているものを長く続ける」のが好きだから。
「知日派」から得た教訓はよくわからなかったら「好き」「嫌い」で判断しちゃっていいかなという事。
「よく知らないくせに、、」という声が聞こえたら
「知らないけど好きです!」
これがいいなと「知日派」という言葉を聞いて頭に浮かんた事を綴ってみました。
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