日本書紀完読に向け3週目返事がないのは死に値する【日本書紀3】
03①−3 0120
088→093●○
094→099○○
100→105○○
106→111○○
112→117○○
118→123○○
八岐大蛇の件は原文の展開にワクワク感がある。
古事記で大国御魂神社の後に韓国、ソウルの神が誕生するところと、スサノウ尊と新羅の関わりがあり、どちらにしても韓国とは密接な関係であった事を感じる。
時系列が逆行、場面が飛んだりとするが同時期に様々な事が同時に進行するイメージができて立体的な世界をイメージできた。
大己貴神、少彦名命、大三輪神など馴染みの深い神様が活躍する場面になり嬉しい。
天穂日命、大背飯三熊大人、天稚彦、など報告をしない、目的を見失う神は名前に表現されているように感じてきた。神の名前をあだ名とか代名詞のように捉えると何をした神なのかわりとわかりやすい。
現代でも報告、連絡、相談が大切と言われている。伊奘諾尊、伊弉冊尊は天津神に相談して改善案を求め実行して成果を出すということをしている。
対して、派遣されっぱなしで返事なしの神は返り矢に当たって死ぬという還著於本人の法則はどんなところにも働くものだと感心した。それと同時にまめが忠誠という字が当てられているのが興味深い。相手次第で態度を変えるのではなく、聞かれた「質問」に対する自分の答えをまめに誠意を持って実践するのが愛の表現であり相手への敬意だと深く感じた。
また相手という人よりも、相手の発する「言葉」にたいする敬意を持つ事で適正な受け答えができるようにも感じた。
そんなことを思っていたら病院のテレビで人間関係が悪くなる原因を放送していた。第3位に返事がない、返事が遅いというのがあり、今回読んだ所と合わせて返事の重要さを再確認できた。
「兆し」が「雉」につながっているのが興味深い。
神からの「どうしたの」というサインが兆しなんだと思う。
「報聞」「復命」など「かえりこともうさず」に当てられている漢字が現代の読みよりもイメージに合っているように感じる。
「かえりこと」に現代の漢字を当てて「返事」という言葉ができていることからしても返事をしない事は死にあたいするという教訓をえた。すぐに返事をする事は開運に置いても重要な事。
鹿島、香取の神様が抜擢される場面になる。推薦されたにもかかわらず任務を遂行しなかった事あとに力もあり信用もあるものを選ぶ場面は映画のように頭に映像が浮かんでくる。
国譲りの場面が古事記よりも現実味のある文章になっているように感じた。
タケミナカタの神が登場しないのは何か意味があるのか気になった。
「いずのちわきににちわきて」という大祓詞がこの場面だということがわかり、大祓詞が神話を短縮していることが発見できた。
【この会の運営について】
1番初めにリーダーをした初日から、直接会って全員合意の上で決めたルールが守られなかった。何度もルールを読んでくださいとメッセージをしてもそれについての「かえしこど」なく。確認も取れないままルールは遂行されなかったので「ルールを読む」という事は申し送りされるはずもなく3週間過ぎた。リーダーは投稿当番ではなく、自分自身が率先して読んで読了報告をすることで積極的取組ができるということは年末のミーティングでも了承を得たと思ったが投稿当番になってしまった。
今週の一連の文章を読んでみると、国づくり当初も蛭子が生まれ、天上界の神が任命したものも任務を遂行しないものが3代続く。そんなことを思って見ると開始初日の気持ち悪さ、神話を反映して実感を持って読み進める事の一助になっている。
有志の志願者が、全員合意のもとで始めた会の全員合意のルールが守られないという事も今の自分の行いの反映と捉えれば改善点を洗い出す良いきっかけになった。
早速、1月25日の旧元日からは今年の目標に向かう日課を作り直した。
何事も自己相似の法則、合成の誤謬に影響されているのは神話の時代から現代に至るまで全く変わっていないことを実感している。
また守れないほどの負荷のかかるルールであれば一周した時点で見直す事も必要だと感じた。
聖書にもこんな言葉がある。
‘悪いことについてであれ、善いことについてであれ、どのような事柄についてであっても、軽はずみな誓いが立てられるようなことに関して、軽はずみな誓いを立てたならば、それを知るようになったとき、責めを負う。’ レビ記 5:4
表現は違うものの「返事」というものには重要なものです。
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