洋装のマナーと日本神話
現代は日本でも着物よりも洋服を着ることが一般的です。寒い時はコートを着ます。洋装では建物に入る時、コートを脱ぐのがマナーです。これは海外の風習のようですが『日本書紀』にも同様の記述があります。
『日本書紀』の一書の中の記述です。『日本書紀』はいとつの説が延々語られるのではなく同じ事柄について「一書(あるふみ)」という記述で複数の説が記載されています。
その中の一つ、素戔嗚尊が追い払われ雨が降っている中を蓑笠を着て降っていく場面です。
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素戔嗚尊、青草を結束ひて、笠蓑をして、宿を衆神に乞ふ。」衆神の日はく、「汝は是、躬の行、濁悪しくして、逐ひ謫めらるる者なり。如何ぞ宿を我に乞ふ」といひて、遂に同に距く。是を以て、風雨甚だふきふると雖も、留り休むこと得ずして、辛苦みつつ降りき。
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道中の神々に宿を乞うのですが、罪人として天上を追い払われた素戔嗚尊を誰も休ませてくれません。「辛苦み」とは「たしなみ」と読みます。人生の味わいとしてワクワクとは違う嗜みという言葉のもとになった場面です。
そしてこの事件以来、蓑笠を着て他人の家に入ることが忌み嫌われるようになった。束草は今で言えば背負った荷物です。コートを着てリュックを背負って人の家に入ることは運気が下がるというような意味です。
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それより以来、世、笠蓑を著て、他人の屋の内に入ること諱む。又、束草を負ひて、他人の家の内に入ること諱む。此を犯すこと有る者をば、必ず解除を債す。此、太古の遺法なり。
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海外のマナーのようですが、コートを脱ぐことは素戔嗚尊の神話から習慣になっているとう記述です。『日本書紀』ができた時代に「太古」というくらい昔からある習慣です。
悪天候の時に外を歩けば濡れたり汚れたりします。建物の中には汚れを持ち込んで欲しくないのは今も昔も変わらないですね。
『日本書紀』『聖書』をはじめ哲学や世阿弥の思想などと現在の自己啓発を読んでいるとハライについて矛盾があると感じています。
すべての経験が無駄にならないのであれば、ハライというのは一歳不要。すべてを糧として利用することになります。人生や自分の気持ち、またはコミュニティーのなかで悪い影響のあるものや人、例えて言えば素戔嗚尊のような存在は徹底的に祓うのが『日本書紀』の世界です。これはどりらにしたら良いかということではなくその場や事柄についても変わってきます。ただ言葉の意味を深掘りしていくと同じ会話の中で矛盾があることに気づいていると自分の考えもシンプルになってきます。全てを受け入れることと祓いの世界。これについてはまた別の機会にアウトプットしていきます。
クラブハウスでも毎週日曜日7:00より『日本書紀』のルームが開催されています。
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