『古事記』のなかの平和的でない「平和」と「和平」
現在、「平和(へいわ)」は地球上のすべての人が望んでいるよい意味で使われる事が多い言葉です。
この「平」と「和」の漢字のつらなりは『古事記』に度々登場します。この「平和し(やわし)」について集めてみました。
🙆♂️天孫降臨の前に葦原中国(アシハラナカツクニ)を平定の報告の場面
ーーーーーー
故、建御雷神(タケミカヅチの神)返り参上り、葦原中国を言向け⭕️和平しつる状(さま)を復奏(かえりこともう)す。
ーーーーーー
🙆♂️カムヤマトイワレビコ天皇(神武天皇)が白檮原宮で政権を取る場面。
ーーーーーー
荒ぶる神等を言向け⭕️平和し、伏はぬ(まつろわぬ)人等を退け撥ひて、畝火の白檮原宮に坐して、天の下治らしめしき。
ーーーーーー
▶︎荒々しい神どもを平定し、服従しない人たちを払い除け畝傍の橿原宮で天下を治めた。
皇紀元年の元になっているのは『日本書紀』なので『古事記』は反対勢力を全排除して天下を治めたという記述に「平和し」が使われています。
🙆♂️ミマキイリビコイニエ天皇(崇神天皇)の領土拡大
ーーーーーーーー
また此の御世に、大毗古命は志道に遣はし、其の子、建沼河別命は東の方十二道に遣はして、其のまつろはぬ人等を⭕️和平さしむ。また日子坐王は、旦波国に遣はして、玖賀耳之御笠(此は人の名ぞ)を殺さしめたまふ。
ーーーーーーーー
服従しない人たちを武力制圧する時に使われます。殺しちゃうので話し合いではありません。
🙆♂️ヤマトタケル命の東征
ーーーーーーーー
尓して天皇、また頻きて倭建命に詔りたまはく、「東の方十二道の荒ぶる神とまつろはぬ人等を、言向け⭕️和平せ」とのりたまひて、
ーーーーーーーー
▶︎オオタラシヒコオシロワケ天皇(景行天皇)の詔
荒ぶる神、まつろわぬ人を平定(武力制圧)する内容
ーーーーーーー
東の国に幸でまし、悉く山河の荒ぶる神と伏はぬ人等を、言向け⭕️平和したまふ。
ーーーーーー
▶︎実際にヤマトタケル命が平定する場面。
ーーーーーー
悉く荒ぶる蝦夷等を言向け、また山河の荒ぶる神等を⭕️平け和し(ことむけやわし)て、
ーーーーーー
▶︎反対勢力を制圧した場面
『古事記』には「平和」「和平」がたびたび登場します。現在の意味から古代は平和的という方もいます。内容を読んでみると明治時代に「Peace」に「平和(へいわ)」という単語を当てた人はスゴいですね。
Peaceの語源はラテン語の「Pax」条約、合意、戦争のない状態
『古事記』においての「平和」「和平」は武力制圧も含めた満場一致。
反抗する人はすべて祓いのけすべての意見が100%一致している状態です。
ある意味、「平和」はラテン語「Pax」よりずっと厳しく感じます。
「まあまあ」とか「おちついて」なんて全くありません。
そう思うと平定を意味する「平和し(やわし)」を「平和(へいわ)」という日本語にしたひとも戦争前提だったんでしょう。
まったく争いのない世界は「楽(うたまい)」の世界です。
歌って舞って(酒飲んで)
こういう平和をイメージしている人は、平和ボケと言われるかもしれません。
日本語の「平和」とは「治に居て乱を忘れず」の精神の上に成り立っています。
昨今『古事記』は神話部分の解釈本が主流です。『古事記』の学びもなんだかいい話や美談にまとめられたものが好まれます。
解釈されてしまうと使われている単語の意味がほぼ消えてしまいます。
「平和」が悪いといったらバッシングを受けるでしょう。それでも手放しで理想の状況ではないことも知っておきたい言葉の意味です。
※画像はAIで作りました。
最新記事 by 森澤勇司 (全て見る)
- 『古事記』のなかの平和的でない「平和」と「和平」 - 2025年5月23日
- じゅごんと美知の正体は? - 2025年5月22日
- 秘伝書が伝える心の病 - 2025年5月21日
- 技術×やる気 - 2025年5月20日
コメントを投稿するにはログインしてください。