日本書紀 完読会 感想 19週目
20231210 19週目
三巻 46−81
雄略天皇の御代はとかく美人と権力の誇示が多い。新羅が朝貢しないことも度々だが、担当者が変わるごとに引き継ぎがないのだろう。百済は新羅を攻めるためなら協力する構図が描かれる。
この後祇が老女になって現れるのが不思議。審神者のような職業ではないから言わなかったのか、一種の霊媒的なものだろう。この後からは韓流ドラマさながらの権力争い殺人劇場が展開される。登場人物も多く感情も複雑な部分。この時の百済人、新羅人、任那人はどんな言語で会話をしていたのか気になるところ。
高麗を雄鶏と例える頃は日本の土蜘蛛と同じ。現代でも犬とか飼い犬という比喩はよく使われる。
『日本書紀』の新羅王はバイキンマン的ななん度痛い目に遭っても懲りない。適当に渡り歩く韓国人魂を感じる。
このあと雄略天皇自ら新羅に行こうとする時に神の制止がある。雄略天皇の詔も御代がわりしてからの新羅の態度の変化が語られる。四人を派遣するところも崇神天皇の四道将軍に通じている。また順番になくなっていくところも五瀬命からの逸話に通じている。ここは内輪揉め
で全滅に近い状態。後世の争いにも通じてくる。
馬が埴輪に変わっている逸話、鵞鳥が犬に噛み殺される話、その後にも犬に噛み殺される話があるがこれは顔に刺青だけで済んでいるのが不思議なくらい。大工の腕を試すために采女に褌をつけさせ相撲をとらせる。権力者のトラップというのかどんなことをしてでも相手に折れさせる。上げた拳をただでは下さないワンマンぶりが記録される。根使臣の下は高天原で八百万の神が集まり中国平定の担当者を決める場面に通じている。ウズマサも都市伝説的に語られることが多い。神代に比べると人間の御代は関係性が複雑になる。
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