悪い噂が広まってきた時は【藤戸】
おはようございます!
能楽師 森澤 勇司です。
心にしみる能の言葉を
厳選してお届けします。
「好事門を出でず」藤戸より
悪事千里をゆけども
よいことは広まりにくい
悪いことは広まりやすい、、
悪い噂が流れてきたら
◆それも承認の一種だと受け入れてみましょう。
本日も素晴らしい1日をお過ごしください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
会員記事は藤戸に登場する浮洲の岩240kmの旅です。
かつて藤戸海岸の海の底だった田園のなかをしばらく進むと、円形の凹地に「浮洲岩」の文字が刻まれた石碑があります。かつてここに巨石があって、海から浮き出ていたとされる岩のあった場所です。
その文字は、三代目岡山藩主・池田光政に仕えた高名な儒学者・熊沢蕃山の書と伝わり、京の都で天下人たちが愛でた浮州岩(藤戸岩)があった地を末永く語り継ぎたいとの思いが託されています。
その巨石は、今も京都の醍醐寺三宝院の庭に置かれています。
目次
藤戸石
足利義満(鹿苑寺金閣)
足利義政(慈照寺銀閣)
織田信長(二条城)
- のち、織田信長が永禄12年(1569年)に15代将軍足利義昭の居城二条御所を作る際、細川藤賢(細川典厩家、室町幕府最後の管領細川氏綱の弟)の屋敷の庭にあった、この「藤戸石」が使われた。
かくれなき藤戸石を。上京細川殿屋敷より室町畠山様御屋敷へ信長公(三宝殿)御引なさるゝ
- 石を運ぶ作業の指揮は信長自らが行い、石を綾錦(あやにしき)に包み、三千人の人夫を使い、笛や太鼓ではやし立てながら二条城へ移したという。
御殿の御家風尋常に金銀をちりばめ、庭前に泉水、遣水、築山を構へ、其の上、細川殿御屋敷に藤戸石とて、往古よりの大石候。
是れを御庭に立て置かるべきの由にて、信長公御自身御越しなされ、彼の名石を綾錦を以てつゝませ、いろいろ花を以てかざり、大綱余(あまた)付けさせられ、笛、太鼓、つづみを以て囃し立て、信長公御下知なされ、即時に庭上へ御引付け候。其御普請の時。 大石の數百人しも引かぬが有けるを。 信長公さひを取て。 たゞ一 聲えいや聲を出し給ひければ。鳥の飛がごとく行けるとなり。
豊臣秀吉(聚楽第、醍醐寺三宝院)
- その後豊臣秀吉が聚楽第を造る際に移築され、さらに醍醐寺三宝院の庭園へと移った。
九日晴、金剛輪院(醍醐寺三宝院)泉水へフヂト大石今日居了、主人石ニ用之、奉行新庄越前(越前守直忠)、此外大石三ッ立之、手伝三百人来
現在
- 藤戸石は、歴代の天下人に引き継がれたことから「天下人が所有する石」、「天下の名石」と呼ばれ、現在も醍醐寺の三宝院庭園の主人石として残る。
- また藤戸石のあった海岸線はその後大きく変化し、現在は岡山県倉敷市北東部の田園地帯の真ん中に浮洲岩跡が残されている。
合計241kmの旅の末に落着いた三宝院です。
最新記事 by 森澤勇司 (全て見る)
- 鳥追 - 2024年12月25日
- 日本書紀 完読会 11週目感想 - 2024年12月25日
- 日本の成り立ちアーカイブ - 2024年6月4日
- 日本書紀 完読会 38週 感想 - 2024年4月21日