七歳は心のままにせさすべし過度の注意はやる気が失せる
目次
注意してはいけない?
「風姿花伝」に「年来稽古条々」という七歳から五十歳に至るまでの各年代での稽古方法が綴られた章があります。そのなかの一番始め七歳「こころのままにせさすべし」のみについて考えてみたいと思います。
人によっては勝手にさせておくという読み方もあるようです。これは能楽の家のお話ではあります。一般家庭だったら急に能をやり始めるということはまず無いと思います。
現在の年齢では6歳です。習い事が6歳の6月6日から始めるという風習も世阿弥の風姿花伝と一致しています。
私自身はこのぐらいの年の時は、自然にすると言えば仮面ラーダーかウルトラマンです。見たもの聞いたものをまねしますから、一般家庭で急に子どもが能を舞い始めると言うことは無いでしょう。
全く逆の見方をしてみる
自然にまねしてやり始めるというのは、当然ながら、まねする対象があるからです。この自然にまねをし始めるという事で印象的な体験があります。事業仕分けで無くなった伝統文化子ども教室で講師をしていたとき、対象外ですが0歳から入室可能にしていました。
現実的に保護者同伴の小学生には兄弟姉妹がいる事も多く、0歳だからといってどこかに預けて参加していただくのは負担の大きいものです。それなのでそのまま赤ちゃんも一緒に稽古場にいる環境が出来ました。小鼓の音は赤ちゃんは好むようでたいてい泣き止みます。それなので稽古場に赤ちゃんがいても保護者が一緒ですからとくに問題もありませんでした。
はじめはゴロゴロしていても1年もたてば歩き始めます。そんな赤ちゃんが2歳くらいになると、小学生に交じって正座して挨拶し始めるのです。本人は挨拶をする意識は全くないと思いますが、、、。お兄ちゃん、お姉ちゃんがやってるのをまねするのでしょうか。大抵2歳くらいで正座して挨拶し始めるのは感動的な光景です。
もちろん、正式には対象外ですが、特にとがめたりすることもありません。和気藹々とちっちゃい子もまねして、しばらくすると「よっ」とかけ声をかけて手を動かし始めます。
私は成人してから始めているので幼少期に能楽師として教育された経験はありません。この時期に0歳からのお子様方と接して鏡に映して自分を教育するようなつもりで取り組んでいました。
抽象化してみると
風姿花伝では七歳からの事を語られています。例としては0歳の赤ちゃんの体験を出させていただきました。能楽のことに限らず少し抽象化して見たいと思います。
はじめての人が何かに接したとき、自然にまねすればいいように環境を整える事が大切です。ですが、、、子が生まれてから七年あれば環境を整える事が出来る十分な期間かとおもいます。
しかし、もう少し大きくなってからはじめて接する場合は準備する間もなく、現状のまねをし始めます。自分が何かの指導をする場合、後進が出来た場合などは今すぐにまねされていい準備と研鑽をし始める事が大切です。
自己成長にはまたとない機会
この記事は風姿花伝の文法的な解釈では無く、「こころのままにせさすべし」それが出来る条件とはなにかという観点で考えてみたものです。
まねしてほしいと思っている人もいれば、勝手にまねするなという人もいるかもしれません。もちろん社会的に知的財産の盗用はよくありません。ここで行っているまねとは人徳の部分です。言葉遣いや姿勢、物事に向かう態度など、まねされて困ることがあれば修正した方が自分にとっても有益です。
ところが、これは自分ひとりではなかなか気がつくことの出来ないことです。実際に後進の人を見て気に入らないところが目につく場合、自分がしている事をまねしているだけと言うこともあるかもしれません。自由にさせてとがめないことで自分自身の癖を発見する鏡になると考えると気になることはとても有り難いメッセージです。
周りの人全員むかついているという事は無いと思いますが、すこし周りの人を観察してみて自分の鏡にしてみるのはまたとない自己成長のチャンスです。「ああ私はこんな感じなんだなぁ」と受け入れられたら心の器も大きく出来ます。
「こころのままにせさすべし」実は指導者の成長について説かれたのでは無いかという考察をしてみました。
最後まで後拝読いただき有り難うございました。
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