日本書紀完読会 第4期 4週目感想
124−159
前回の途中から可愛之陵の情景が頭に浮かぶ
天稚彦の事件
どんなに信用したとしても環境が変われば人は変わる。『六韜』の「選将」で語られる信用できる人間の選び方が頭に浮かぶ。「返矢畏るべし」は教訓としても広まってほしいお話。返事は大事です。
喪山神話も現代に通じる。亡くなった故人に似ているという発言を聞くことがある。それも言う人の思考パターンだと言える。
武甕槌神、経津主神
駆除という単語が印象に残る。昨今、神話や戦争の話は美化される傾向が強い。日本人は争わないと実しやかに言われる。反対意見ははらう。徹底した払いが描かれるのが日本書紀。今の日本も同じではないだろうか。神話に描かれる人間の特徴を知って現代を見るとそう変わらないように思える。
瓊瓊杵尊が天から降る場面での気づき。「国譲り」「天孫降臨」など神話をわかってる風に使ってしまう言葉があるが本文にこのような記載があるわけではない。明治維新と被せてしまうような先入観がある。本文に記載のない神話用語は要注意。
天鈿女命の「あざわらいて」も現代の感覚だと馬鹿にしているような感じがしてしまうがもう少し明るさのある人に好かれる種類のものだろう。猿田彦が伊勢に向かうのも啓きのかくとして垂仁天皇の時代にも影響する記述だと思える。
「したがわぬ者あるをば、即ちまたころす。帰順ふ者をば、よりてまたほむ」は神武天皇の東征にも通じる一貫した支配方針に思える。
瓊瓊杵尊と木花開耶姫のお話。以前は感じなかったが神話は話がひとつづつコンパクトになっている。一週間でも展開がはやい。事勝国勝神は伊弉諾尊の子、又の名は塩土老翁も印象に残るところ。
またこの後に一書で天稚彦ののあと事勝国勝長狭が天孫に領地を献上する場面がある。大己貴神以外にも各地で國譲りの交渉と争いはあっただろうと推測できる場面。
来週は海幸山幸伝説にはいる。幼少期から慣れ親しんだお話。能「玉井」にもなっていて心惹かれる。
前回の感想を見直してみたら聖書の引用があった。
「木々が、だれかに油を注いで 自分たちの王にしようとして まずオリーブの木に頼んだ。 『王になってください。』 オリーブの木は言った。 『神と人に誉れを与える わたしの油を捨てて 木々に向かって手を振りに 行ったりするものですか。』 木々は、いちじくの木に頼んだ。 『それではあなたが女王になってください。』 いちじくの木は言った。 『わたしの甘くて味のよい実を捨てて 木々に向かって手を振りに 行ったりするものですか。』 木々は、ぶどうの木に頼んだ。 『それではあなたが女王になってください。』 ぶどうの木は言った。 『神と人を喜ばせる わたしのぶどう酒を捨てて 木々に向かって手を振りに 行ったりするものですか。』 そこですべての木は茨に頼んだ。 『それではあなたが王になってください。』 茨は木々に言った。 『もしあなたたちが誠意のある者で わたしに油を注いで王とするなら 来て、わたしの陰に身を寄せなさい。 そうでないなら、この茨から 火が出て、レバノンの杉を焼き尽くします。』
士師記 9:8-15 新共同訳
日本の神話は自分から何かをすることが多い。天稚彦のようにやらされ感があるとうまくいかない。改めて自分の理想の状態を思い描き自発的行動をいこうと思いました。
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