粟津に響く鐘の音【巴】
「巴」謡本の中のこの部分「暮れてゆく日も山の端に入相の鐘の音」
文章で読めば夕暮れ時に鐘の音がなっているというだけのことですが、この部分をで気になることを記しておきます。
「暮れてゆく日」はこの場面の景色が夕暮れに向かって行くことを現していますが、木曽義仲が「朝日将軍」と呼ばれていたことを考えると、日没が義仲の一生を象徴しているようにも感じられる場面です。。
そして入相の鐘の音、能「三井寺」にも近江八景にも登場する三井の晩鐘。
この三井寺は時間によって4つのメッセージを伝えています。
その中でも入相(夕暮れ)には「寂滅為楽(じゃくめついらく)」と響くと語られています。
その「寂滅為楽」という意味はいろは歌の「浅き夢見じ酔ひもせず」に対応する部分だと言う説からするとこの入相の鐘は「煩悩を滅した悟りの境地という楽しみに至る」というような意味になります。
31歳という生涯を戦いの中で死んでいった義仲の一生を象徴する場面です。
ところで戦場だった粟津から三井寺はどのくらい離れているのでしょうか。
6.4kmは結構離れていますね。鐘の音は結構遠くまで響くものですが6km以上はなれた鐘の音が聞こえたのでしょうか。天下に名を得た名鐘ですから波に響くように音が通ったのかもしれませんね。
「巴」の物語は粟津で里女と旅僧がであるのですが、戦場跡というはっきり言っているわけではなく義仲の跡を参拝した帰りに出会うような物語です。
実際に義仲の墓は義仲寺というところに眠っているようです。
義仲寺からから三井寺の距離はと言うと、、、
約3km、これなら充分、三井寺の鐘の音は届く距離です。
そして近くには仏神寺という名前のお寺があります。
「仏とげんじ神となり」という詞章にも関わるようで興味深いです。
鐘の音の響きという一つのキーワードから、物語の中の言葉の響きを感じて見ると様々な景色が浮かんできます。名前の朝日と物語の中の夕日のコントラスト、、入相の鐘の音の意味する悟りの境地、戦がおわり安らかな眠りの中の木曽義仲などなど、、、
負け戦では修羅道の苦しみを語る能が多い中でこの巴は女武者の唯一の曲で有るとともに、木曽義仲、巴御前ともに修羅道の苦しみを語る事はありません。これも一つには義仲と巴の魂は修羅道ではなく安らかに眠っていることにしたい作者からのメッセージなのかもしれないですね。
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