日本書紀完読に向けて8週目五巻のうちの一巻読了【日本書紀8】
08 0224
264→269○○
270→275○○
276→281○○
282→287○○
288→293○○
294→299○○
300→305○○
日本書紀完読会が始まってから、理解に走ることを避けている。
理解という自分の枠組みに押し込もうとすると違う価値観が得られない。
そのまま受け取るという事を徹底して一巻読み進められてよかった。
わざわざ時間を使って読んでいるのだからわかるものを読むのは時間の無駄。わからないものを読むという点では非常に意味のある時間になっている。
わかりたければわかで読む、ここで安易に別の解説書などに走ると元の木阿弥。
知らないことへの理解レベルは同じままになってしまう。
新型コロナウィルス蔓延の兆しでイベント等だいぶ中止になっているタイミングで崇神天皇の時代になった。
太公望の「六韜」を見ても宰相の責任に天変地異を起こさないということが語られている。
政治の乱れ、疫病、天変地異はどちらが先かという事ではなくいつの時代も同時期に起こるもののようだ。
そのときに、特定の神を祀るというのは本質ではなく、各人の気になっている事を放置せずに後始末をするという事が本質だと捉えている。
疫病になったら大物主を祀るというはこの時そうだったという話で、気になる事を放置するが集合体になった時、免疫もさがり、政治も乱れてくるのだと思う。
また、小さな約束を守れない人が選挙で投票すれば当然、公約を守らない人物が選ばれるのも自己相似として不思議な事ではない。
能「三輪」に語られている場面がある事が嬉しい。
よくも悪くも、過去の記録、創作であっても想像したことには変わらない人間の思考の痕跡に残るテンプレートは、キャラクターを変えて現代社会を作っている。
イデアの世界に照らし合わせてみれば、神という存在が影絵の人形であり、投影された影は過去においては日本書紀に出てくる神、現代社会に於いては生きている人だと思った。
また現代の感覚で、良い悪いとジャッジする人が多いようだが、この時代の善とは何か、この時代の悪とは何か、そのまま受け取るようにしている。
神の名前もキャラクターを表していて面白い。あっこれはあの人に投影されているなという事が具体的に浮かんできて面白い。
返事の遅い人も理解してから返事をしようとしているのではないかということも浮かんできた。
困ったことが起こる→事前準備におかしなところがある
ここは大きな学びになった。
また今週も決めたルールは遂行されないが、100回と1回を100回繰り返すことの違いを思い出させてくれる貴重な出来事なのだと思うと次の週もどんな学びがあるのかワクワクというものを感じるようになった。
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